お世話になった人
その方とは20年来のお付き合いでした。
その方は、もともと学校の先生で最終的には校長先生まで勤められた教員一筋の立派な方でした。
退職後は町内会長をはじめ、市民委員会や地域神社の奉賛会、お祭りの実行委員会など、地域の活動に尽力されていた方でした。
当社とも長い付き合いがあったのですが、その方は大変顔の広い方でしたので、生前から「自分の葬儀の時は、申し訳ないけど弘善社さんにお願いできない。教え子がいるA葬儀社にお願いする予定なんだ。」という話を何度か聞かされていました。
ボクとしても、それは十分承知していたので、「気を遣われなくても大丈夫ですよ。当社に依頼されなくてもいいんです。そこの葬儀社さんにお願いしてあげてくださいね」とお話ししていました。
先日、その方が急逝されました。
ボクは新聞のお悔やみ欄で知りました。
でも葬儀を施行していたのは、生前話してした「A葬儀社」ではない別のB葬儀社でした。
後日その時の葬儀について聞く機会がありました。
さぞ多くの人がお参りにきた、大きな葬儀だったであろうと思っていたら、会葬者もそんなに多くはなく、かつての同僚であった先生方、縁のある地域の方のお参りも少なかったのこと。
極め付きは葬儀委員長が何の所縁もない、葬儀社手配の委員長だったということ。
それが故人の望んだ「お見送り」なのか?
その方と当社は長いお付き合いでした。
ただ、その方のお子さん方とは面識がないので、もしかしたらご家族の意向でB葬儀社に依頼され、そのようにされたのかも知れません。
ただしかし。
生前、縁のあった方はお参りに来てどう思ったであろうか?
そもそも縁のあった方々に連絡は行き届いていたのか?
それが故人の望んだ「お見送り」であったのか?
勝手ながらそのように思ったのです。
これはボクの仮定でしかありませんが、もし、故人の生前の功績、活動、人となり、交友範囲を知っていたならば、そうはならなかったと思うのです。
離れて暮らしているお子さんたちがそんな故人の普段の活動、日常を知っていたならば、そうはならなかったと思うのです。
ボクら弘善社に依頼していれば、と言っているわけでは決してありません。
だだ、ボクらならご家族に少しでもアドバイスできたのに。
故人様のことを少しでもお伝えできたのに。
そんな風に思うのです。
今はただただ故人のご冥福をお祈りするばかりです。
大変お世話になりました。ありがとうございます、K先生。